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徳島地方裁判所 昭和62年(ヨ)173号 決定

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(別紙)当事者目録記載のとおり

主文

一  被申請人船井電機株式会社は(別紙)当事者目録記載の番号1から15、19から38までの申請人らに対し(別紙)賃金目録1、2中、当該「平均月額賃金(円)」欄記載の割合による金員を、昭和六二年五月一二日から平成二年九月三〇日までの間、毎月二五日限り一か月分(ただし、計算期間を前月一六日から当月一五日までとする。)ずつ仮に支払え。

二  右申請人らの被申請人船井電機株式会社に対する申請のうちその余の部分、(別紙)当事者目録記載の番号16から18、39から63までの申請人らの被申請人船井電機株式会社に対する申請並びに申請人らの被申請人破産者池田電器株式会社破産管財人島田清に対する申請をいずれも却下する。

三  申請費用はこれを三分し、その一を被申請人船井電機株式会社の負担とし、その余を申請人らの負担とする。

理由

申請人らは「(一)申請人らと被申請人らとの間において申請人らが被申請人らに対し従業員としての地位を有することを仮に定める。(二)被申請人らは申請人らに対しそれぞれ(別紙)賃金 目録1ないし3の「昭和六二年一〇月末日までの未払い額(円)」欄記載の金員を仮に支払え。(三)被申請人らは申請人らに対し右賃金目録中、当該「平均月額賃金(円)」欄記載の金員を昭和六二年一一月二五日から毎月二五日限り仮に支払え。(四)申請費用は被申請人らの負担とする。」との裁判を求め、被申請人らは「(一)本件各仮処分申請を却下する。(二)申請費用は申請人らの負担とする。」との裁判を求めた。

一  事案の概要

(事実の経過)

本件疎明資料(当事者双方の主張を含む。)を総合すれば、本件についての事実経過をおおよそ次のとおりであることが一応認められる。

1  被申請人船井電機株式会社(以下「船井電機」という。)は、その代表者である船井哲良が個人で営んでいたミシンの製造販売事業を、昭和二九年一一月「株式会社船井ミシン商会」として会社組織に改め、昭和三四年五月これを「船井軽機工業株式会社」と改称し、昭和三六年八月そのトランジスターラジオ部門が分離独立して、「船井電機株式会社」として設立されるに至ったものである。本社は大阪府大東市におかれ、現在の資本金は三億六三〇〇万円であって、トランジスターラジオ、カーステレオ、テープレコーダー等、弱電機器製品の製造販売を主な営業目的としている。

2  後記のとおり、のちに解散により消滅したこととされた徳島船井電機株式会社(以下「旧徳島船井」という。)は昭和四一年八月船井電機の全額出資のもとに設立された会社である。これより先、船井電機は、徳島県板野郡板野町の工場設備奨励条例に基づき町立中学校跡地を買い受け、同条例による指定工場として新工場を開設しており、旧徳島船井はいわばこの工場を運営するための会社であって、実質的には船井電機の製造部門の一部といえないこともないほどのものであった。というのは、右工場の土地・建物及び主要な生産設備はすべて船井電機の所有であり、旧徳島船井にはこれというほどの財産はなく、その役員をはじめ主要な役職者はすべて船井電機からの出向者をもってあてられた。また、旧徳島船井の事業内容はもっぱら船井電機からの注文によるカーステレオ等の弱電機器製品の加工生産を行うだけであって、会社業務は船井電機の経営方針に従って運営され、旧徳島船井が独自の事業活動を行うことはなかった。

3  旧徳島船井は工場での作業員のほとんどを現地で採用した。その従業員数は優に二〇〇人を超えるものであり、(別紙)当事者目録記載の番号1から15、19から38までの申請人らは、このようにして、(別紙)入社年月日一覧表(略)1、2記載の当該各日に、作業員として現地採用された者である。

4  会社発足後三年近くを経過した昭和四四年七月三〇日、旧徳島船井においては、おおよそ二四〇人の従業員によって労働組合(以下、これを「組合」という。)が結成された。「徳島船井電機労働組合」と称するこの組合は、その後、会社外の労働組合との支援協力関係を深め、昭和四七年七月二七日には産業別全国組織の労働組合である「全国金属労働組合」への加盟を決定し、「全国金属労働組合徳島地方本部徳島船井電機支部」と称するようになった。これに伴い、組合の活動は次第に活発の度を高め、昭和四六年ころからは、賃金の引上げ、夏季、冬季の一時金要求等をめぐって、会社に対しストライキの実施を含む活発な労働攻勢を展開した。これに対する会社側の姿勢も強固であり、その結果、労使の対立関係は次第に深刻化していった。

5  このような状況下において、旧徳島船井は、昭和四七年一一月一四日開催の株主総会において会社の解散を決議し、工場での操業を停止するとともに、従業員全員に対し同月一五日付けで解雇する旨の通告をした。これに対して、(別紙)当事者目録記載の番号1から15、19から38までの申請人らを含む一〇九人の従業員(組合員。以下同じ。)は、申立人として組合支部及び上部団体の全面的支援のもとに、徳島地方裁判所に対し、船井電機と旧徳島船井を相手方として、申立人らが相手方らとの関係で従業員としての地位を有することを仮に定めること及び解雇通告があった日の後の賃金仮払を求める趣旨の仮処分を申請した。この仮処分申請事件については、徳島地方裁判所は、口頭弁論を経たうえ、昭和五〇年七月二三日、申立人らの相手方船井電機に対する申請を認容し、相手方旧徳島船井に対する申請を却下する旨の判決を言渡した。この判決が右のような結論に達したのは、いわゆる法人格否認の法理を適用して、旧徳島船井の法人格を否認し、申立人らと相手方船井電機との間の雇用関係を認めたからである。ただ、この判決が右事件について法人格否認の法理を適用したのは、旧徳島船井は実質上は船井電機の一製造部門にすぎず、経済的には単一の企業体とみられる関係にあり、旧徳島船井の解散は労働組合の組織壊滅を意図するものであって、船井電機も直接これに加担しており、このような会社解散を理由とする従業員の解雇は、まさに会社形態を利用するにつき違法又は不当な目的を有する場合(濫用法人格)に当るという点においてであって、旧徳島船井の法人格が全くの形骸といえるかどうか(形骸法人格)、船井電機による旧徳島船井の設立それ自体が違法又は不当な目的のもとにされたかどうか(濫用法人格)の点については判決はむしろ否定的な判断を示した。

6  この判決に対しては、相手方船井電機からばかりでなく、相手方旧徳島船井に対する申請が容れられなかったことにつき申立人らからも控訴の申立てがあり、これが控訴審に係属中、別に徳島県地方労働委員会に係属した申立人を全国金属労働組合中央本部、同徳島地方本部、同徳島船井電機支部、相手方を船井電機、旧徳島船井とする不当労働行為救済命令申立事件につき、同労働委員会は当事者双方に対し和解を勧告し、双方の間で折衝が重ねられた結果、同労働委員会の関与のもとに、昭和五〇年一二月一八日、和解が成立し、「和解協定書」と題する書面が取り交された(以下、これを「一二・一八協定」という。)。ここで取り決められた主な事柄は、(1)船井電機及び旧徳島船井は、昭和四七年一一月一五日付けで徳島船井電機支部組合員に対してした解雇の意思表示を撤回し、同組合員は右同日付けで合意退職したものとする。船井電機及び旧徳島船井は、旧徳島船井の事業を昭和五一年一月一九日付けで再開し、徳島船井電機支部組合員を同日付けで再雇用し、就労させるものとする、(2)当事者双方は係争中の訴訟(労働委員会への提訴を含む。)並びに告訴の一切を取り下げる、(3)今後の労使関係の正常化、会社業務の発展のために船井電機及び全国金属労働組合中央本部、同関西地協、同徳島地方本部はそれぞれ責任を負い、船井電機支部及び旧徳島船井との間に紛争が生ずる場合は、船井電機、旧徳島船井と、全国金属労働組合中央本部、同徳島地方本部、同徳島船井電機支部は事前に協議し、円満解決するよう努力する、というものであり、前記仮処分申請事件は右(2)の取決めの趣旨に則り申請が取り下げられたことにより終了した。

7  船井電機は一二・一八協定の取決めに従い工場での操業を再開した。ただ、旧徳島船井については、一旦、解散により清算手続に入った会社を元の状態に戻すには諸種の事務手続上の障害があったことから、関係者間の合意のもとに、これを清算の終了により消滅したこととし、代りに別会社が設立されることになった。こうして、昭和五一年一月一九日に設立されたのが旧徳島船井と同名の徳島船井電機株式会社(以下「新徳島船井」という。)であり、両会社は法人格こそ別個のものとされたが、実質的には全く同一のものであった。

工場の操業再開にあたっては、旧徳島船井の従業員のうち前記仮処分申請事件の申立人となった一〇九人のほとんどが一二・一八協定の取決めに従って再雇用されたほか、新たに約三〇人が従業員として採用され、総数は約一一〇人となった。従業員数はその後逐次増員され、昭和五一年末では約一七〇人に達した。(別紙)当事者目録記載の番号16から18、39から63までの申請人らは、このようにして、工場の操業再開後、(別紙)入社年月日一覧表1ないし3記載の当該各日に、新徳島船井の名において従業員として採用され、就労することとなった者である。

操業再開後の新徳島船井における労使関係は、しばらくの間はさほどの紛争も生ずることなく平穏に推移したが、昭和五二年ころから賃金、夏季、冬季の一時金等、組合からの諸要求をめぐって、労使間の対立が激化し、時間外労働拒否、半日ストライキ、時限ストライキ等の争議行為が繰り返されるようになった。

8  そうするうち、船井電機は昭和五四年四月二三日、突如、地元の事業家である池田孝に対し工場の土地・建物及び生産設備、新徳島船井の株式四万株(発行済株式の全部。一株の額面金額五〇〇円)等の一切を譲渡(以下、これを「企業譲渡」という。)し、新徳島船井の経営から手を引いてしまった。これに伴い、新徳島船井は池田電器株式会社(以下「池田電器」という。)と改称され、会社役員も池田孝とその関係者に入れ替り、以後、池田電器は事実上池田孝によって経営の一切が取り仕切られることになった。しかしながら、船井電機と池田間の右企業譲渡契約を、先に船井電機が旧徳島船井を解散したのと同様、船井電機が池田と通謀のうえでした新たな組合破壊工作とみる組合側では、右企業譲渡契約を架空のものとして認めようとせず、契約の白紙還元を求めてストライキその他の争議手段をもって激しく抵抗した。一方、会社側でもロックアウト等の手段によってこれに対抗し、そのため右企業譲渡後の池田電器においては、労使間に対立抗争が繰り返され、労使関係は極めて不安定な状態のままに推移した。その間を通じて、組合側では終始池田を会社経営者とは認めようとせず、船井電機ないしは新徳島船井と組合員との間の雇用関係の存続を主張し続けたのであるが、しかし、組合員としては、その生活を維持していくために工場で稼働して賃金の支払を受けるほかに選択の余地はないため、事実上は池田が経営する池田電器で稼働し賃金の支払を受けるという関係が継続した。

船井電機と池田孝間の右企業譲渡契約においては、船井電機は昭和五四年五月から向う二年間池田電器に対し一か月約一億三〇〇〇万円相当の弱電機器製品の加工注文を行い、その加工生産によって生じた営業損失については船井電機において補填する、との条件が付されていた。これは企業譲渡直後の池田電器には営業基盤や生産技術等の点で独立した弱電機器製品メーカーとしての企業実体が備わっていなかったことから、右二年間のうちにその実体を整えていくという想定のもとに、池田からの要求で付されたものである。その後、右の期間はさらに三年間延長されて昭和五九年四月までとなった。そして、右期限が経過した後も、船井電機と池田電器の取引関係は継続し、その間の池田電器の企業実体には大きな進展があったわけではないが、船井電機への依存状態が続いている限りでは池田電器の経営の継続はどうにか可能であった。ところが、昭和六一年に至って、船井電機は製品市況の悪化を理由にカーステレオの加工賃単価の引下げを要求し、これを不服とする池田電器との間で折衝が続けられたが、合意をみるに至らず、最終的に池田電器は船井電機からの製品加工の注文を断わってしまい、それ以来、双方の間の取引関係は途絶えてしまった。その後、池田電器は第三者との取引関係の拡大に努め、独自の営業活動を推し進めたのであるが、経営は思うにまかせず、昭和六二年四月末ころには支払不能に陥った。そこで、池田電器は同年五月一一日、申請人らを含む従業員全員に対し解雇通告をするとともに、徳島地方裁判所に対し和議申請をした。しかしながら、この和議申請は認容されるに至らなかったので、池田電器は同年一一月三日、同裁判所に対し破産の申立てをし、裁判所は昭和六三年一月一九日、池田電器を破産者とする旨の決定をし、この決定に対しては、申請人らから抗告の申立てがあったが、この申立ては棄却され、右破産宣告は確定した。

(本件の争点)

1  一二・一八協定は船井電機と旧徳島船井を一方の当事者とし、全国金属労働組合中央本部、同徳島地方本部、同徳島船井電機支部を他方の当事者として成立したものであって、(別紙)当事者目録記載の番号1から15、19から38までの申請人らを含む一〇九人の前記仮処分申請事件の申立人となった従業員を直接の当事者とするものでないことは前記のとおりである。被申請人船井電機は、これを文字どおりに解釈して、一二・一八協定はその双方当事者間においてのみ効力を生ずるものであって、直接の当事者ではない右一〇九人の従業員との間においてまで効力を生ずるものではない、と主張する。これに対して、申請人らは、前記のような一二・一八協定成立に至るまでの経緯やその内容に照らして、一二・一八協定はその直接の当事者間においてのみではなく、船井電機及び旧徳島船井と右一〇九人の従業員との間にも効力を生ずることを前提としたうえ、協定条項中に、前記のとおり、船井電機及び旧徳島船井は、旧徳島船井の事業を昭和五一年一月一九日付けで再開し、徳島船井電機支部組合員を同日付けで再雇用し、就労させる旨の取決めがあるところから、この取決めは船井電機が右一〇九人の従業員との間に雇用関係があることを認めたものであり、これにより船井電機と一〇九人の従業員、旧徳島船井と一〇九人の従業員とのそれぞれの間に二重に雇用契約関係が成立したものである、と主張する。この点について、被申請人船井電機は、右協定条項の文言は、いかにも船井電機と旧徳島船井とが同じ立場において徳島船井電機支部組合員を再雇用するような記載になっているが、一二・一八協定はそもそもすべての事態を旧徳島船井の解散以前の状態に戻すことに主眼があったのであり、右協定条項の趣旨は、船井電機は一旦解散した旧徳島船井の継続を決定するとともに、工場を再開し、旧徳島船井は右一〇九人の従業員を再雇用して操業を開始するというものであって、船井電機が一〇九人の従業員との間に雇用関係があることを認めたものではなく、右雇用関係は前記仮処分申請事件の判決でも認めていないところである、と反論する。

また、申請人らは、新徳島船井の発足後に就労するようになった(別紙)当事者目録記載の番号16から18、39から63までの申請人らについても、これらの申請人は新徳島船井の設立前から、若しくはその直後に就労した者であり、船井電機及び新徳島船井と前記一〇九人の従業員との間に前記のような二重の雇用関係があることを知って、自らも同一の関係に入るとの認識のもとに就労するようになったものであり、船井電機及び新徳島船井もこれを受け容れ、右一〇九人の従業員と雇用条件につき何の区分もしないで採用したことを理由として、右申請人らと船井電機及び新徳島船井とのそれぞれの間には右一〇九人の従業員との間におけると同様二重の雇用契約関係が成立した、と主張する。被申請人船井電機は、これを争い、右申請人らと被申請人船井電機との間の雇用関係の成立を否認する。

2  次に、申請人らは、新徳島船井及び前記企業譲渡後の池田電器には財産的実体は何もなく、両会社は実質的には船井電機の一製造工場であって、その法人格は全くの形骸にすぎないこと、また船井電機が一二・一八協定の趣旨を無視して得体の知れない池田孝に対し新徳島船井の株式を譲渡し、最終的に池田電器の破産という事態を招いたのは、船井電機と池田とが通謀のうえ、組合組織の壊滅を意図してしたことであって、船井電機が新徳島船井及び池田電器の法人格を違法又は不当な目的で利用した場合に該当するから、その間には法人格否認の法理が適用されるべきであり、その結果、新徳島船井及び池田電器の法人格は否認され、両会社と申請人らとの間に名目的に存在していた雇用関係は実質的には船井電機との間に存在することとなる、と主張する。これに対し、被申請人船井電機は、池田電器は資本関係、役員等の人的関係、財産関係等のすべての点で船井電機とは別個独立の企業としての実体を備えていること、池田電器は池田孝が経営する会社であって、その経営について資本関係、役員等の人的関係等からしても船井電機の支配管理は全く及んでいないし、池田電器が破産の申立てをしたのも池田の判断によるものであって、船井電機は全くこれに関与していないとして、船井電機と池田電器との間には法人格否認の法理が適用される余地はない、と反論する。そして、被申請人船井電機は、さらに、仮に船井電機と申請人らとの間に雇用関係が存在したとしても、前記企業譲渡後は、申請人らは池田が経営する池田電器で稼働し、池田電器から賃金の支払を受けていたのであるから、右雇用関係は企業譲渡に伴い池田電器によって継承され、申請人らはこれに同意したものというべきであり、一二・一八協定によって船井電機が申請人らに対し何らかの責を負うとしても、それは船井電機が新徳島船井の全額出資者であって、その経営を支配しうる地位にあるという実体を前提とするものであって、池田電器との間ではそのような実体は存しないのであるから、今日の時点では船井電機が申請人らに対し一二・一八協定により何らかの責を負うことはない、と主張する。

3  池田電器が申請人らに対してした解雇通告について、申請人らは、この解雇は、組合組織の壊滅を意図してされた不当労働行為であること、池田電器と組合との間で交された昭和六二年五月一日付けの一時休業に関する協定に定める休業期間(同月一日から三一日まで)内に全く一方的にされたものであって、協定違反であることを理由として無効である、と主張する。被申請人破産者池田電器株式会社破産管財人島田清は、右解雇は池田電器がその経営上止むなくしてした整理解雇であって、有効である、と主張する。

二  争点に対する判断

1  一二・一八協定は船井電機と旧徳島船井を一方の当事者とし、全国金属労働組合中央本部、同徳島地方本部、同徳島船井電機支部を他方の当事者として成立したものであって、(別紙)当事者目録記載の番号1から15、19から38までの申請人らを含む一〇九人の前記仮処分申請事件の申立人となった従業員を直接の当事者とするものでないことは前記のとおりである。しかしながら、もともと、一二・一八協定は船井電機及び旧徳島船井と、右一〇九人の従業員との間に生じた旧徳島船井の解散とこれを理由とする一〇九人の従業員の解雇をめぐる紛争を解決し終了させるために締結したものであり、一〇九人の従業員は組合の全面的な支援のもとに、実質的には組合を通じて右仮処分申請事件の訴訟を追行したことは一連の経過事実に照らして明らかである。そして、一二・一八協定は徳島県地方労働委員会の関与のもとに、申立人を全国金属労働組合中央本部、同徳島地方本部、同船井電機支部、相手方を船井電機、旧徳島船井とする不当労働行為救済命令申立事件に関して成立したものであって、もとより、この事件においては一〇九人の従業員は当事者にはなっていないが、この事件は組合が船井電機及び旧徳島船井に対し一〇九人の従業員の解雇問題を交渉事項として団体交渉を要求しても応じないことが不当労働行為に当るとして救済を求めるものであって、右仮処分申請事件とは密接に関連するものである。一二・一八協定成立後は、一〇九人の従業員は協定の定めるところに従ってそれぞれの仮処分申請を取り下げており、船井電機が新徳島船井を設立し、工場を再開した時点では、一〇九人の従業員は当然のことのように工場での就労を始めたことは本件疎明資料からうかがい知ることができるのであって、その際、船井電機若しくは新徳島船井と一〇九人の従業員との間に個別的に就労(雇用)に関する取決めがされた形跡はみられない。以上のようにみてくると、一二・一八協定については、一〇九人の従業員は組合を通じて、すなわち組合を代表ないしは代理人としてその締結に関与したものであり、組合としては協定条項のうち個々の従業員の権利義務に関する事項については当然に個々の組合員に対し効力が及ぶものと解釈し、組合員もまたこれを当然のこととして受け止めていたこと、一方、他方当事者である船井電機及び旧徳島船井においても暗黙のうちにそのような理解をしていたとみるのが相当である。そうすると、一二・一八協定については一〇九人の従業員は組合を代表者ないし代理人として組合とともにその一方当事者になったものとみることができ、したがって、協定条項のうち個個の従業員の権利義務に関する事項については船井電機及び旧徳島船井と、個々の従業員との間に一種の契約として直接の効力が生ずると解するのが相当である。

ところで、一二・一八協定には、船井電機及び旧徳島船井は、旧徳島船井の事業を昭和五一年一月一九日付けで再開し、船井電機支部組合員を同日付けで再雇用し、就労させる、との定めがあることは前記のとおりである。これによると、右の「再雇用し」の主体は「船井電機及び旧徳島船井は」であるとされており、これを文字どおりに解釈すれば、船井電機と旧徳島船井の双方が徳島船井電機支部組合員を再雇用する趣旨と解する余地もないわけではない。しかしながら、右条項には旧徳島船井の事業を再開することも含まれており、その主体もまた「船井電機及び旧徳島船井は」であるとされている。そればかりでなく、一般に一人の被用者が二以上の使用者との間で労働の時と場所とを同じくする雇用契約を締結するということはありえないことであり、前記仮処分申請事件において申請人らが船井電機と旧徳島船井の双方に対する関係で従業員としての地位を仮に定めることを求めたのに対して、その第一審判決は船井電機との関係では右申請を認めたものの、旧徳島船井との関係ではこれを却下したことは前記のとおりである。そうすると、右条項については、その文言のみから約定の趣旨を一義的に把握することは困難であり、そのためには一二・一八協定成立の基礎となった事実関係に則してこれをみることが必要である。本件疎明資料によれば、一二・一八協定の成立の過程において、組合側では、船井電機に対し旧徳島船井の解散とこれを理由とする解雇が組合組織の壊滅を意図した違法かつ不当なものであることを強く訴え、すべての事態を旧徳島船井の解散以前の状態に戻すよう強力に要求し、交渉を重ねたこと、その結果、船井電機の側でも最終的には右要求を全面的に受け容れ、一二・一八協定の成立となったものであることが一応認められる。また、前記仮処分申請事件の第一審判決は船井電機との関係で申請人らが従業員としての地位にあることを仮に定めることを求める申請を認容したが、右判決は、船井電機において旧徳島船井を解散したことが違法かつ不当な意図に基づくものであって、法人格を濫用する場合に当るとし、この点をとらえていわゆる法人格否認の法理の適用により旧徳島船井の法人格を否認し、船井電機と申請人ら間の直接の雇用関係を認めたものであり、右判決は旧徳島船井の解散以前においても船井電機と申請人らとの間に雇用関係があったことを認めたものでないことは前記のとおりである。これらの事実からすると、一二・一八協定は、旧徳島船井を解散したのは船井電機であり、船井電機には旧徳島船井の継続を決定し、停止した工場の操業を再開することができること、旧徳島船井の解散以前においては従業員は旧徳島船井の名において雇用されていたことをひとまず前提としたうえ、すべての事態を旧徳島船井の解散以前の状態に戻すことを目的として締結されたものであり、そうだとすると、前記協定条項において、旧徳島船井の事業を再開する主体は「船井電機」であり、徳島船井電機支部組合員を再雇用する主体は「旧徳島船井」であって、右条項はこの二つのことを一つの文章で表現しようとしたためその趣旨が必ずしも明らかでなくなったとみるのが相当である。したがって、右条項の定めによって直ちに、船井電機が前記一〇九人の従業員に対し雇用関係があることを認めたということはできず、ほかに雇用関係の存在を明らかにするに足りる直接の資料はない。

とはいえ、右条項において、船井電機は右一〇九人の従業員に対し、一旦解散した旧徳島船井の継続を決定するとともに、工場での操業を再開して労働の場を提供し、従業員がここで稼働することを前提として所定の賃金の支払を受けることのできる機会を与えることを約したのであって、そのような内容の契約上の義務(債務)を負担したことは明らかである。そして、船井電機は、右条項の定めるところに従い、関係者間の合意のもとに旧徳島船井を継続することに代えて新徳島船井を設立し、工場での操業を再開したのであるから、これにより、ひとまず、右債務は履行されたということができる。しかしながら、一二・一八協定の成立に至るまでの経過や右条項の趣旨・目的に照らすと、右条項によって船井電機が右従業員に対して負担する債務は右に説示したところに止まるものではなく、右条項に定める船井電機の債務中には信義則上当然に右債務の履行により現出された状態を維持し継続することも含まれるとみるのが相当である。したがって、船井電機が自らの責に帰すべき事由により右債務の履行により現出された状態を覆すような事態を招いた場合においては、船井電機は前記一〇九人の従業員に対し、改めて右債務を履行するか、それが不可能であれば、他の職場を提供するなど、これに代る相当の措置を講ずべきであり、これを怠ったときは、それによって生じた損害を賠償する責を負うものというべきである。そこで、進んで、この点について検討するのに、新徳島船井と旧徳島船井とは法人格を別異にしただけで、その実体には異なるところはないこと、新徳島船井の事業内容はもっぱら船井電機からの注文によるカーステレオ等の弱電機器製品の加工生産を行うだけであって、その役員をはじめ主要な役職者はすべて船井電機からの出向者で占められており、新徳島船井は営業基盤や生産技術等の点で独立した弱電機器製品メーカーとしての企業実体を備えておらず、実質的には船井電機の製造部門の一部といえないこともないほどのものであったことは前記のとおりである。本件疎明資料によれば、池田孝は、地元の徳島県板野郡板野町で建設会社を経営する事業家であるが、船井電機から新徳島船井について企業譲渡の話が持ち込まれるまでは弱電機器製品の製造、販売については全くかかわりを有しなかったこと、しかし、池田は、船井電機の代表者である船井哲良からの懇請を受け、自らも中堅、大手の電機製品メーカーの上層部の人々とつながりがあり、その他の政財界関係者にも知己があるので、しばらくの間、船井電機から主として技術面での指導を受けることができれば、新徳島船井の経営を軌道にのせることが可能であると判断し、企業譲渡を受けることになったものであること、その際、池田は、船井電機の側から、新徳島船井においては労使関係が不安定で、紛争が続いている、との事情は明かされたものの、一二・一八協定のことについては何も知らされなかったこと、一方、船井電機は、新徳島船井においては昭和五二年ころから労使紛争が繰り返され、一二・一八協定では労使関係の正常化、会社業務の発展について労使の協力関係がうたわれたものの、期待したほどには組合側の協力がえられず、労使関係は旧徳島船井の解散以前と大きな変化はみられなかったことから、新徳島船井の経営に意欲を失い、適当な買手を見つけて工場の土地・建物及び新徳島船井の株式を譲渡し、その経営から一切手を引いてしまおうとしたのであり、その格好の買手と目されたのが池田であったこと、しかし、このことは一二・一八協定が締結された趣旨・目的からは大きく外れることであり、これを無視して事を運ぶことはできないはずのところ、船井電機は、組合に対しては事前に何の予告をすることもなく、突如、右土地・建物及び株式等を譲渡し、池田に対しても一二・一八協定のことについては特別の事情説明はしなかったことが一応認められる。

以上の事実によれば、新徳島船井は、元来、船井電機とは法人格こそ別異にしてはいるが、その企業活動の基盤のすべてを船井電機においており、独立の企業としての実体を備えてはいないのであるから、池田においていかに他の電機製品メーカーの上層部の人々や政財界関係者に知己があるからといって、それだけで新徳島船井を独立の企業体とすることができるものでないことは相当の知識と経験を有する企業人であれば、容易に認識できるところであるが、本件疎明資料によっては、企業譲渡当時、池田において譲渡後の池田電器の経営について右認定以上に確たる成算を有していたことをうかがい知ることはできない。果して、企業譲渡後の池田電器においては、船井電機との緊密な関係が維持されている間は、経営の継続はどうにか可能であったが、船井電機との取引関係が途絶えると、たちまちにして経営は思うにまかせなくなり、短期間のうちに支払不能に陥り破産という事態を招いてしまったことは前記のとおりであり、このことは右に説示したことを如実に物語っているのであって、その結果は前記仮処分申請事件の当事者となった一〇九人の従業員を一二・一八協定成立以前と同じ状態に引き戻し、一二・一八協定に基づく債務の履行によって現出した状態を根底から覆してしまったのである。以上に説示したところからすれば、企業譲渡当時、船井電機としては、相当の注意を怠らなければ、池田孝に対して新徳島船井の経営を委ねてしまった場合、船井電機から特段の援助、協力を続けるのでない限り、新徳島船井の健全な維持、発展を図ることは容易なことではなく、譲渡後の新徳島船井の倒産という事態が生ずることもありえないことではないことを予見できたものというべきである。それにもかかわらず、船井電機があえて企業譲渡に踏み切ったのは、船井電機において、新徳島船井の経営に意欲を失い、その経営から手を引くことのみに急であって、譲渡後の新徳島船井の経営や一二・一八協定のことについて十分な配慮をしなかったことにあるのであり、一方、本件疎明資料によれば、船井電機から池田孝に対して売り渡された工場の土地・建物、とくに土地の価額は時価よりもかなり低いものであったことがうかがえるのであって、このことも併せて考えると、池田としては、企業譲渡後の池田電器の経営について確固とした成算があったわけではないが、もともと池田電器には会社財産というほどのものはないのであり、池田が個人で取得する右土地・建物の価額が時価よりもかなり低いものであるとすれば、仮に池田電器の経営が失敗に終ることがあっても重大な不利益を被ることはないのであって、新徳島船井についての企業譲渡は船井電機と池田との右のような思惑がかみ合った結果として行われたものと推認できるのであり、ここでは従業員の雇用確保に特別の配慮が払われた形跡はみられない。そうすると、一二・一八協定に基づく債務の履行によって一旦現出した前記一〇九人の従業員の雇用確保の状態が池田電器の破産によって覆ってしまったことについては船井電機に責を帰すべき事由があるということができるから、船井電機は右一〇九人の従業員の中の(別紙)当事者目録記載の番号1から15、19から38までの申請人らに対し、改めて一二・一八協定の前記条項に基づく債務を履行するか、それが不可能であれば、他の職場を提供するなどこれに代る相当の措置を講ずべきであり、その履行が滞っている間は、そのために生じた損害を賠償すべきである。

次に、(別紙)当事者目録記載の番号16から18、39から63までの申請人らは、新徳島船井の設立後、その名において雇用されたものであることは前記のとおりであり、前記のような一二・一八協定成立の経過及びその趣旨・目的に照らせば、一二・一八協定が右申請人らにまで適用されるものでないことは明らかである。申請人らは、船井電機も新徳島船井と二重の関係で右申請人らを雇用したように主張するが、本件疎明資料からは、そのことを理由付けるに足りる事実を見出すことはできない。

2  いわゆる法人格否認の法理は、会社その他の社団法人において、法人格が全くの形骸にすぎない場合又はそれが法律の適用を回避するために濫用される場合に適用されるとするのが確立した判例(最高裁判所昭和四四年二月二七日第一小法廷判決民集第二三巻第二号五一一頁)である。そこで、まず、これを船井電機と新徳島船井との関係についてみるのに、新徳島船井は実質的には船井電機の製造部門の一部といえないこともないほどのものであり、会社業務の運営は船井電機の全面的な支配下におかれていたことは前記のとおりである。しかしながら、本件疎明資料によれば、新徳島船井は船井電機のいわゆる子会社であって、それぞれの財産関係は明確に区分され、決算等の会計処理も独自に行なわれていて、誤認、混同等が生ずる状態にはないこと、新徳島船井は申請人らとの雇用関係をはじめ第三者と取引関係を結ぶときはその名によってしており、船井電機との混同が生ずるようなことはないし、申請人らに対する賃金をはじめ右取引によって生じた金銭債務も会社財産によって支払っていることが一応認められ、これからすると、新徳島船井の法人格が「全くの形骸にすぎない」とまでいうことは困難である。また、本件疎明資料によれば、船井電機にはかって多くの工場、事業場等があったが、過去のある時期にこれらの工場等を独立の会社とし、船井電機はこれらを統括し管理するための本社機構のみとなったこと、旧徳島船井が船井電機とは別個の会社とされたのもこのような経営方針の一環であったことが一応認められ、これからすると、旧徳島船井ひいては新徳島船井が船井電機とは別個の会社とされたのは独立採算制、経営責任の明確化等を志向する経営政策によるものであって、第三者に対する債務の支払を免れるなど法律上の責任を回避する意図によるものとはいえない。したがって、新徳島船井と申請人らとの雇用関係において、法人格否認の法理により新徳島船井の法人格が否認され、右雇用関係が船井電機との間に存在すると認めることは困難である。

前記のとおり、池田電器は企業譲渡により新徳島船井の事業をその従業員も含めてそのまま受け継いだものであり、池田電器になってからは、池田孝によって独自の経営が行われていたのであって、池田電器は、企業譲渡後の数年間、船井電機からの援助、協力を受けはしたが、会社業務の運営について船井電機の支配を受けることはなかったことは既に述べたところから明らかである。したがって、池田電器との関係で法人格否認の法理が適用される余地はなく、企業譲渡によって新徳島船井と申請人ら間の雇用関係が池田電器に受け継がれたとしても池田電器の法人格が否認され、右雇用関係が船井電機との間に存在すると認めることは困難である。

3  池田電器は昭和六二年四月末ころ支払不能に陥り、昭和六三年一月一九日には徳島地方裁判所において池田電器を破産者とする旨の決定があり、この決定はこれに対する抗告申立てが棄却されたことにより確定したことは前記のとおりである。これによれば、池田電器が右支払不能に陥った後の昭和六二年五月一一日、申請人らを含む従業員全員に対してした解雇の意思表示は企業整理による解雇として止むをえないものであったということができる。申請人らは、右解雇は、組合組織の壊滅を意図してされた不当労働行為であると主張するが、本件疎明資料からではこれを裏付けるに足りる事実を見出すことはできない。また、右解雇の意思表示が申請人ら主張の休業期間中に一方的にされたからといって直ちにこれが無効となるものではない。したがって、申請人らは、池田電器との関係では今日ではもはや従業員としての地位は有しないというべきである。

4  以上に説示したところからすれば、船井電機は前記仮処分申請事件の申立人に含まれている(別紙)当事者目録記載の番号1から15、19から38までの申請人らに対し、同申請人らが池田電器による解雇によって労働の場を失い、賃金の支払を受けることができなくなった昭和六二年五月一二日以降においては、改めて一二・一八協定の前記条項に基づく債務を履行するか、それが不可能であれば、他の職場を提供するなど、填補賠償の申出を含むこれに代る相当の措置をとるべきであり、その履行が滞っている間は、そのために生じた損害を賠償すべきであるところ、その損害は右申請人らが池田電器で稼働した場合に支払を受けていた賃金と同額とみるのが相当であり、本件疎明資料によれば、右賃金の平均月額は(別紙)賃金目録1、2中、当該「平均月額賃金(円)」欄記載のとおりであり、賃金は前月一六日から当月一五日までの分が毎月二五日に支払われていたことが一応認められる。そして、本件疎明資料によれば、右申請人らは池田電器で稼働し、そこから支払を受ける賃金によって生計を維持していた者であることが一応認められるから、その生活上、直ちに右賃金相当の損害金の支払を受ける必要性があることが認められる。しかしながら、本件においては、船井電機において改めて一二・一八協定の前記条項に基づく債務の履行が可能なのかどうか、不可能とすれば、これに代る相当な措置としてどのようなことが可能なのか、また右債務の履行又はこれに代る相当な措置はいつ、どのようにして実現されるのかなど、将来に向って不確定な要因が少なくないし、右申請人らが池田電器での労働の場を失ってから既に三年近くを経過しており、右申請人らが他の職場で稼働することもありうることを考えると、右賃金相当の損害金仮払の必要性は解雇通告の日の翌日である昭和六二年五月一二日から本決定の日から六か月後の平成二年九月三〇日までの間において存在し、その後においては改めてその時点での諸般の事情によりその存在が決せられるべきであると解するのが相当である。

三  結び

よって、申請人らの本件各仮処分申請は、(別紙)当事者目録記載の番号1から15、19から38までの申請人らが船井電機に対し(別紙)賃金目録1、2中、当該「平均月額賃金額(円)」欄記載の割合による金員を、昭和六二年五月一二日から平成二年九月三〇日までの間、毎月二五日限り一か月分(ただし、計算期間を前月一六日から当月一五日までとする。)ずつの仮払を求める限度で理由があるから事案に鑑み保証を立てさせることなくこれを認容し、右申請人らの船井電機に対する申請のうちその余の部分、(別紙)当事者目録記載の番号16から18、39から63までの申請人らの船井電機に対する申請並びに申請人らの破産者池田電器株式会社破産管財人島田清に対する申請はいずれも被保全権利について疎明がなく、保証をもってこれに代えさせるのも相当でないからこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大塚一郎 裁判官 橋本昇二 裁判官 長谷川恭弘)

当事者目録

申請人 武市勉

(ほか六二名)

右六三名代理人弁護士 林伸豪

同 川真田正憲

被申請人 船井電機株式会社

右代表者代表取締役 船井哲良

右代理人弁護士 高島良一

同 中筋一朗

同 益田哲生

同 荒尾幸三

同 為近百合俊

被申請人 破産者池田電器株式会社破産管財人島田清

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